小笠原旅日記③ 2日目の母島

小笠原旅日記②より続く・・・

 

明けて13日(火)、母島の通所介護事業所の調査も2日目に入りました。

「ここはおそらく最南端の東京都の事業所だろうなぁ」と感慨にふけったりもしますが、時間は限られています。今日のお昼には再びははじま丸に乗って父島に戻らなくてはなりません。

E氏と私は時間が許す限り利用者さんや職員さんの声に耳を傾け、活動の様子を見学して調査に勤しみました。

事業所の所長はMさん。島で子ども達にサッカーの指導もしているスポーツマンで利用者さん思いのとっても優しい方だ。しかし、これがとんでもない経歴の持ち主、なんと去年「ATACAMA CROSSING」というレースを完走したというのだ。

 

はい、ここ

で少し説明が必要ですね。「ATACAMA CROSSING」というのは南米チリのアカタマ砂漠を舞台に開催されるレース。レースは標高3000m前後の高地で行われ、レース中に必要な装備(食料・衣服など)は全て自分で背負わなければなりません。 1日40km前後を走り、1日だけ100km近いロングステージがあるという過酷なレース。1週間で6ステージ(1日休みがある)250㎞の合計タイムを競うというものだ。砂漠で高地ということは日中は高温に、明け方は低温に悩まされ、かつ高山病のおそれもある。これを完走するなんてただのスポーツマンではない、もう猛者と言っていいレベル。

この話を聞いたE氏がMさんに話してしまった。

「このSもマラソンをやるんですよ。サロマ湖ウルトラマラソンを完走したこともある。」

キラリと光るMさんの目、

「Sさん、今度一緒に走りましょう。行きましょうよ、アタカマ。」

思わずひるむ私、「そんな恐ろしいレースはとても走れません」と思い、力なく微笑むのでした。

 

2日目はMさんの案内で利用者さんの送迎ルートも紹介してもらいました。

母島の様子も少し把握することができました。途中、フルーツロードというところで下車。Mさんがグァバを手渡してくれます。もぎたてのグァバを食べたのは初めて、酸味と甘みのバランスの取れた鮮烈な味に「南国にいるなぁ」と実感しました。(写真)

その後、「東港探照灯下砲台」で旧日本軍の防空砲台の跡も見せていただきました。母島は硫黄島のような地上戦こそ行われなかったものの、頻繁な空襲による死傷者、そして食糧難による栄養失調のため戦病死する将兵が少なくなかったそうです。錆びた砲台の姿から70年以上前のこの地で激戦が行われたことが分かります。

 

 

 

 

今回、こうして母島の地を訪れ、地元の福祉に携わる方々とお話しができるのも前回の戦争以降、日本が戦争を起こしていないからこそ。二度と、再び戦争など起こしてはならないという思いを強くしました。

 

 

事業所の北側には島のシンボルとも言える乳房山(標高462m)があります。

「高尾山よりは低いんですね。」

などと高さをなんでも高尾山(標高599m)と比べるクセのあるE氏と私は確認しています。

 

事業所のデイルームの北側には大きな窓が設置してあって利用者は来所すると乳房山を見ることができます。「一日に一回は乳房山を見たい」という思いに応えることのできる事業所の造りに感心させられます。

庭にはコーヒーの木もあり、今度はもぎたてのコーヒーの実(豆と言うべきか?)もいただきました。ほのかな甘みがあるんですね、こちらももちろん初めての経験でした。

 

続く・・・